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有限会社小林興産による「出雲市の不動産情報」

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"高く買って、安く売る"

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日記

DIARY

私は自前のピアノを持つほどピアノ曲が好きである。その中でもショパン、フォーレ、ドビュッシー、ラベルなどの作品が好きで、暇さえあれば聴いている。特に世間ではあまり重要でない作品ではあるが、ショパンの初期のサロン的作品が好きだ。「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」「序奏とロンド」などなど沢山あるが、とびっきり好きなのは"モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」より「お手をどうぞ」の主題による変奏曲"である。しかもダニール・トリフォノフの演奏でなきゃならい。

この洒落た曲は、多分、彼がパリの社交界で寵児として持て囃されていた頃の作品ではないだろうか。作家でショパンのパトロンだったジョルジュ・サンド好みだろうか、とにかく華麗で伸びやかで洒落ている。

ただ、こういう作品は一流の演奏家が弾こうが弾くまいが、細部への意味づけが出来なきゃ詰まらない駄作となる。その種の演奏は余りに多く、天才が描いて凡才が詰まらなくする例は、枚挙に暇がない。実はウクライナに侵攻して野蛮の限りを尽くしているあのロシア人達は、殊の外繊細さも兼ね持つ人種なので、彼らの演奏では秀逸なものが多い。それがユダヤ系ではなくとも、ロシアの血は本来音楽的に優れている。

私はダニール・トリフォノフで聴いているが、これ以上の演奏はないと断言する。普通はオーケストラ伴奏である部分も、彼がピアノで演奏しているから、なんとも実に華やかである。また、先に書いたように音の意味づけが素晴らしい。簡単に流さない演奏が素晴らしい。他の良い例が、有名なショパンの協奏曲二番二楽章の冒頭部分で、その演奏を聴けばそれこそため息もので、とろけるのは私だけではない筈だ。

このピアニストがまだ30歳代である事の、なんと幸運な事か。私は死ぬまで、彼の沢山の演奏を聴きながら齢を重ねる事が出来る。耳が聴こえるうちに楽しまなきゃ。

御意見が有ればメールして下さい。info@fudousanya.tv

投稿日:2022/08/29投稿者:小林 孝之 68歳

有限会社小林興産ロゴ

上のロゴと「高く買って安く売る」のキャッチフレーズは、私が自身で制作したホームページ「出雲市の不動産情報」を作るとき、自身で思いついて採用したものです。要は赤の部分が買値と経費、緑の部分が粗利という訳です。しかしこの方針はそれから現在まで続いています。

当時自身でホームページを作り出したのは、私と「不動産ランド」さんだけでした。懐かしい限りです、まだ私も30台でしたから・・・・・今では頭も薄くなって・・・・・

投稿日:2021/11/20投稿者:小林 孝之 68歳

小林さん、岸田さん、大工さん、運転手さん、コバちゃん、キシちゃん、お兄ちゃん、お姉さん・・・・・・・特に親しくなければ日本人は苗字名前があっても、小林さんとなる。特に親しくしていれば岸田ちゃんになる。それに特に相手が若ければまた、千鶴子ちゃん、ケンちゃんとなるのが普通だ。

ところがである、名前が判らない時でもその場で職種が判れば、職種名+さんになる。大工さん、看護師さん、お医者さんとなる。大工ちゃんとは呼ばない、それはその人の職業・職能への敬意が込められているからである。

人が職業・職能によって、この日本をそれぞれの立場で背負っているという事への敬意によるものである。だから、職業にはそれぞれの「道があり」、だから日本では予定調和の実現を見るのである。

以前、東大卒のある有名な大学教授が講演の中で、タクシーの運転手さんを「タクシーのウンちゃん」と呼んだ。私が尊敬もしていた人ではあったが、コイツは単なる馬鹿だと知って、静まり返った会場の席を蹴って帰ったことがある。

何を偉そうに御託並べやがって・・・・・、ドツイてやろうかいな

投稿日:2021/10/30投稿者:小林 孝之 68歳

私は自らテレビを視なくなって20年になる。新聞は産経をとっていたが、これも読まなくなった。テレビ、新聞は魂を汚す程に嘘偽りが多く、読むに堪えないからである。慰安婦問題を捏造した朝日新聞は7400回もこれを記事にしていたが、社長が出て誤ったのは一度だけである。しかも、世界的なこの自虐誹謗を自ら訂正してきた痕跡もない。それを知ってから、この世には悪意ある売国奴等が幾らでもいると悟った。

ところで、この30年間のマスコミの傾向を見ていくと、大人の幼稚さが日増しに酷くなっているように感じている。特にこの5年は耳を塞ぎたくなる程だ。たまに食事中に目に入る番組では、ペットと食い物の話ばかりではないか。ネコや犬の話が朝一番で始まる。食い物は一日中だ。そしてタレントのワイドショウ司会による武漢ウィルスの煽りとくる。恥ずかしくはないのだろうか。

また私以上の高齢爺さん婆さん等は、中国、韓国、北朝鮮、ロシアに囲まれながら、臆面もなく専守防衛を叫んでいる。日本でまともなのはITに頼る若者だけか?

投稿日:2021/02/21投稿者:小林 孝之 68歳

私は今年で満67歳を迎える。考えてみれば、確かに語るに相応しい過去もないばかりか、取り立てて卑下しなきゃならない程の忌まわしい出来事もなかった。要は凡人たる人生であったのだ。

様々な困難と病苦にもあったが、格別恐れたり痛がったりはしなかった。それよりも、もっともっと家内に優しくしてやれば良かったという思いと、両親に孝行が尽くせなかった事への反省ばかりで、毎日慙愧に堪えない思いでいる。

人生は残酷なものである。ただただ反省ばかりの私に、お前の人生にも黄昏が近づいてきたぞと、神は仰るのだ。髪が抜け、肌には日増しにシミが増えた。いたる処が痛みを訴え、艶が無くなり、気力の減衰に呆れ戸惑い、脳みその何処かしこを探しても失った記憶が見つからない事が多くなり、今では一日中それで失敗したり言い訳する事ばかりだ。すでに老いの捕囚となったことは周知の事実となった。

そんな頼りない私が、今、一番熱心にやっている事は、プロテスタントとしての信仰であり、私なりの正義の追求である。なんか、こういう言い方をすると、いかにも高尚に聞こえそうだが、何の事はないのだ。

毎日無事でいられた事への感謝と、愛する者への神のご加護をお願いし、世界の恵まれない人、貧し飢え渇している人に神よりの癒しと計らいを頼み、人々への圧政弾圧、暴力と悪行を行う者を、神の名の下に滅して下さいと願っている。

特に去年11月3日のアメリカ大統領選挙に於ける、前代未聞の不正によりトランプ大統領が落選を余儀なくされ、〇態バイデンが大統領になった驚天動地の犯罪に、多くのアメリカ人と数か国の政府機関が関与し、しかも大手メディアとSNSが出鱈目な報道と検閲により、情報と投票を操作した。そしてなんと投票機は操作され1つの州で数百万票が操作されていたと知り、理念と憲法そして信仰で出来た国アメリカの奈落の証人となった私は、毎日、怒り心頭で楽しむことが無くなった。今、アメリカは全体主義国家、赤色革命が進行しつつある。頼りはトランプと仲間たち、そして軍隊だけである。

だから、選挙前3ケ月から今迄の6か月半、私はアメリカの復活と安寧を願い、またトランプの再起が隠されているのではないかとの期待で、毎日3時間はSNSを渡り歩く日々を送っている。だから、随分と英語力がついてある程度の英文を短時間で読めるようになった。今から大学受験も良いかも・・・・・

ところで、この歳になると自分の葬式をどうするかの式次第を考えておかねばならない。思い残すことがないようにである。失敗だらけの我が人生の最後だけは、失敗をしないように願いたいではないか。

私は音楽が好きだから、会葬者には私の好きな曲を聴いてもらい、私の日本への想い、美とするもの、神への憧れと祈り、そして純真だった子供の頃を知ってもらいたいのだ。

以下の順で曲を流して欲しい・・・・・

 

 

新日本紀行(旧)テーマ曲 https://www.youtube.com/watch?v=k__WJ16qwWI

 

カナリア https://www.youtube.com/watch?v=nRQln-NKt-Y

 

御菓子と娘 https://www.youtube.com/watch?v=KqtBNXCN7FE

 

モーツァルト作曲 アヴェ・ヴェルム・コルプス

https://www.youtube.com/watch?v=5XczGCLw3nw

 

フォーレ作曲 「レクィエム」から、神の子羊(アニュス・ディエ) 24:00当り

https://www.youtube.com/watch?v=B6hwBVR5RDs

 

これらの曲は、頻繁に愛聴しているものばかりである。ある程度の高齢者なら、「新日本紀行」のテーマ曲はご存じであろう。富田勲の名曲であり、且つ、NHK史上でも筆頭の人気テーマ音楽である。但し、私は新旧テーマ曲を比較するとどうしてもこの旧テーマ曲に愛着がある。高度成長期を迎えながらも、特別に日本人たる誇りと郷愁を与えてくれる。殆ど毎晩寝る前には聴いている。 

 

「お菓子と娘」 西條八十作詞・橋本国彦作曲 。「カナリア」  西條八十作詞・成田為三作曲

何れにしても童謡の名曲である。作曲も素晴らしいが、何といっても西條八十の作詞が素晴らしい。私がこれ等を歌いだしたのは、いつの頃からだろうか。決して童謡としてではないような気がする。

「お菓子と娘」はいかにも憧れのフランスの少女たちの振舞いが可愛く洒落ている、「カナリア」には子供には理解できない作詞家の矜持と、恐ろしく研ぎ澄まされたメルヘンチックな映像が美しい。日本に西條八十が居てくれた事は正に神の配材である。因みに、日本人ほど子供を大事にする国はないと、明治初期に横浜から北日本を旅したイザベラ・バード女史が言っていた。そして数多の童謡やら小学生唱歌の名曲を作った国もない。

 

モーツァルト作曲の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はモテット(讃美歌)で最も美しい曲ではなかろうか。彼の遺作となったレクィエムは、余りの神々しさと畏れで、私は滅多に聴くことはない。しかし、このモテットは天国的で慈悲深く美しい。

 

フォーレのレクィエム(鎮魂ミサ曲)は、モーツァルトとヴェルディに並ぶ三大レクィエムの一つである。フォーレ以外の二作は罪人としての人間を意識させ聴く者をみな怯懦させるが、フォーレは唯只美しく来るべき慈悲が明らかに前提となった曲である。その中でもピエ・イエズス(ああ、イエスよ)とアニュス・ディエ(神の子羊)は天国的で何百回聴いているが飽く事がない。尚、この演奏は名盤と云われるクリュイタンス指揮パリ管で、独唱フィッシャー・ディスカウとロス・アンヘレスに依るものである。私は沢山のこのレクィエムのCDを所有しているが、これに尽きる。

私の最期は、十字架の覆いで包まれた棺の中で、これらの作品を聴きながら魂は何とか天に昇げられますように、そればかりを祈っている。

 

投稿日:2021/02/14投稿者:小林 孝之 68歳